作る、造る、創る
学習努力を評価するのは学歴だけではありません

学んだこと、学んでいること、学ぼうとしていることが、学歴という「ことば」でしか表現できないことにもどかしさを感じる人が多いことでしょう。
学習は、自発的な欲求で、学びたいという心はもっとおおきくおおらかで限りないものです。

こうした社会の声に応えて、文部科学省はいつでも自由に学習機会を選択して学ぶことができ、その成果が適切に評価される枠組みを整えました。 このような学習歴を重んじる社会を「生涯学習社会」と呼び、我々、専門学校の学習歴は「専門士」という称号で評価されるようになりました。

中央工学校グループは、長きにわたって、人々の学習意欲をおおらかに受け入れ、その意欲や能力を、専門教育を通じて育み、称号「専門士」やさまざまな「資格取得」によって独自の教育を提供し、社会に貢献して参りました。
中央工学校グループは生涯のいつでも、自由に学習機会を選択して学ぶことができる専門学校群です。平成21年(2009)には、中央工学校は、創立100周年を迎えました。

堅実な教育をベースに、これまでの伝統と実績を踏まえ、21世紀の中央工学校にふさわしい革新的な教育を構築し、学生・生徒・卒業生と共に歩む学校を目指してまいります。

学校法人中央工学校のグループ校・関連施設

専門学校 中央工学校

専門学校 中央工学校

〒114-8543
東京都北区王子本町1-26-17
URL:http://www.chuoko.ac.jp/

  • 建築・木造・設備
  • インテリア・家具
  • 舞台美術・イベント設営
  • 土木・測量・造園
  • 機械・CAD
  • スポーツ
中央工学校のグループ校の概要
中央工学校グループは、日本の専門学校を長年リードし続けている中央工学校を母体としています。姉妹校中央工学校 OSAKA とともに、教育界で厚い信頼と高い実績を残しています。中央工学校のグループ校中央工学校グループは、日本の専門学校を長年リードし続けている中央工学校を母体としています。姉妹校中央工学校 OSAKA とともに、 教育界で厚い信頼と高い実績を残しています。

軽井沢研修所(南ヶ丘倶楽部)

〒389-0102
長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢1052-73
研修所/研修棟(千ヶ滝)/三五荘/南ヶ丘美術館/茶室棟(南暁)

中央工学校OSAKA

中央工学校OSAKA

〒561-0872
大阪府豊中市寺内1-1-43
URL:http://www.chuoko-osaka.ac.jp/

中央動物専門学校

中央動物専門学校

〒114-0013
東京都北区東田端1-8-11
URL:http://www.chuo-a.ac.jp/

中央工学校附属日本語学校

中央工学校附属日本語学校

〒114-0013
東京都北区東田端1-4-8
URL:http://www.chuo-j.ac.jp/

財団法人日本文化生涯学習振興会21

財団法人日本文化生涯学習振興会21

〒114-0015
東東京都北区中里1-15-7
URL:http://www.bunka21.com/

中央工学校の沿革「100年のあゆみ」

1909年(明治42年)
10月21日、東京市神田区一ツ橋通町20番地に「私立中央工学校」創立。創立者松本小七郎。校長花和安年。建築・機械・電工の3学科を設置し、即戦力となる工業技術者の育成を目指す。
神田一ツ橋通町の創立当時の校舎
1910年(明治43年)3月、校章を制定。月桂樹の葉14枚と6個の花で「中央工」の文字を囲んだデザインは、当時の自在画担当講師菊池香三による。8月、韓国併合。9月、土木科設置。同科の専科として測量科設置。日本最初の民間測量教育を実施。
1913年(大正2年)
6月、新校舎の建設地を東京市神田区中猿楽町(現千代田区神田神保町)に定め、翌1914年(大正3年)11月、木造三階建新校舎が落成。一ツ橋通町から移転。
神田区中猿楽町の新校舎
1915年(大正4年)3月、新校舎落成式典挙行。内閣総理大臣大隈重信をはじめとして東京府知事、貴族院議員などが祝辞を述べる。式の後、新校舎落成を祝う提灯行列を行う。
1918年(大正7年)
4月、女子工業技術者の育成を目的に「女子製図科」を設置。9名の生徒が入学。実践的な技術者を排出して教育界・産業界から注目される。
女子設計科の第一回卒業生
1919年(大正8年)創立10周年。7月、文部省令・東京府令の改定によって校名を「私立中央工学校」から「中央工学校」に改める。
1923年(大正12年)9月1日、関東大震災により校舎全焼。10月、目白中学校や京華中学校の教室を借り授業を再開。中猿楽町の焼跡に1925年(大正14年)2月、新校舎竣工。
1930年(昭和5年)5月、創立者松本小七郎が淀橋町柏木(現西新宿)の自宅で死去。10月、神田中猿楽町の校舎で学校葬が執行される。
1931年(昭和6年)9月、満州事変勃発。翌年の満州国建国、1936年(昭和11年)の2.26事件、1937年(昭和12年)7月の虚構橋事件から日中戦争開戦。日本全体が軍事色を強め、第二次世界対戦へと突入していく。
1937年(昭和12年)4月、東京市神田区神保町に高等精密工学校設立認可。軍需産業の台頭と相俟って卒業生に対する求人申し込みが殺到した。翌1938年(昭和13年)、国家総動員法公布。
1940年(昭和15年)4月、大森國臣中央工学校並びに高等精密工学校主に就任。9月、日独伊三国軍事同盟が成立。翌1941年(昭和16年)、太平洋戦争開戦。校歌・校訓を発表。学校報国隊編成。
1945年(昭和20年)4月、東京大空襲により校舎全焼、学校設備の全てを失う。5月、青空教室開設の後、東京帝国大学工学部仮校舎へ移転、授業再開。8月15日、終戦。11月、繰り上げ卒業式を行った後、休校。
1950年(昭和25年)6月、朝鮮戦争勃発。特需景気に日本中が湧く中、工学系の各種学校ができはじめる。翌1951年(昭和26年)1月、学校復興準備委員会(七兎会)が発足。6月、同窓生大会が行われ、復興実現を宣言。
1952年(昭和27年)9月、渋谷区代々木富ヶ谷の名教学園(現・東海大学)内仮校舎において戦後初の入学式を行う。同仮校舎での授業再開。生徒数は少数ながらも、戦後復興の第一歩を踏み出す。
1953年(昭和28年)6月、本校卒業生の田中角榮代議士(昭和11年土木科卒)が第5代校長に就任。新校舎建設のため、自ら第一線に立ち活躍。募金活動と賛助金の成果により、翌年には新校舎建設への足がかりを得る。
1954年(昭和29年)大森厚、中央工学校の再建に参画。
1956年(昭和31年)
3月、北区中里町に駒込新校舎が落成。木造2階建4教室。12月、日本が国際連合に加盟。「もはや戦後ではない」が流行語となる。
北区中里の駒込校舎
1958年(昭和33年)7月、校務主任大森厚、常任理事に就任。10月、東京タワーが竣工。12月、東京タワー公開開始。
1960年(昭和35年)1月、設計製図の通信教育を開発、社会通信教育を開始。中央工学校全過程に入学試験を実施。
1962年(昭和37年)
10月、北区王子町に王子新校舎(現・3号館)が落成し、職員と学生の協力で什器や備品などを駒込校舎から徒歩で運搬。夜間部に機械設計科専門課程を設置。
建設中の王子校舎
1963年(昭和38年)4月、駒込校舎を学生寮に改築。9月、財団法人中央工学校通信教育会設立認可。
1964年(昭和39年)3月、学校法人中央工学校、設立認可。10月、東京オリンピック開催。東京-新大阪間に東海道新幹線開通。
1967年(昭和42年)高度経済成長期に入り建設工事が激増、測量技術者育成が望まれ、4月に測量科が約60年ぶりに復活。志願者が殺到した。12月、測量専門養成施設として建設大臣から指定認可を受ける。
1968年(昭和43年)6月、北区岸町第二校舎(現・2号館)落成。校舎が2棟となり、設備が充実。10月、川端康成がノーベル文学賞を受賞。
1969年(昭和44年)
11月、東京赤坂のホテルニュージャパンにて創立60周年記念式典挙行。翌1970年(昭和45年)3月、新しい校歌が選定され、神田一ツ橋共立講堂で発表会を挙行。
創立60周年記念式典、
田中角榮理事長・校長の式辞
1971年(昭和46年)
6月、北区岸町に第三校舎(現1号館)落成。『中央工学校六十年史』刊行。
第三校舎(現1号館)の完成
1972年(昭和47年)
5月、沖縄返還。7月、田中角榮校長が内閣総理大臣に就任。9月、大森厚理事が理事長に就任。学生数増加に伴い施設拡充を推進、翌1973年(昭和48年)5月、五号館落成。翌々1974年(昭和49年)7月、六号館落成。
田中角榮校長と大森厚専務理事
1975年(昭和50年)4月、昼間部に土木建設課を設置。9月、実務講座の関西出身の基盤として、中央工学校大阪事務センターを開設。
1976年(昭和51年)4月、北区王子に学生寮、大宮市に大宮学生寮を開寮。6月、専修学校制度の施行に伴い、専門学校中央工学校となる。翌1977年(昭和52年)4月、蕨市にわらび女子寮を開設。
1978年(昭和53年)3月、軽井沢研修所(現・南ヶ丘倶楽部)が落成。北区岸町に八号館を取得。5月、北区栄町に七号館落成。池袋にサンシャイン60が完成。
1979年(昭和54年)創立70周年。3月、時代に先駆けた生涯学習機関として、東京生涯教育センター(十号館)竣工。11月、大阪生涯学習センター(十一号館)開所式。
1981年(昭和56年)4月、中央工学校大阪事務センターを改め、各種学校大阪中央工学校を開校。8月、北区王子本町に十四号館が落成。翌1982年(昭和57年)パーソナルコンピュータ室を設置。
1984年(昭和59年)創立75周年。4月、ビジネスのOA化に対応する人材教育を目的として、昼間部に女子情報処理科を設置。6月、軽井沢山荘(現・三五荘)を取得。
1986年(昭和61年)4月、大阪中央工学校が専修学校制度による専門学校として認可、中央実務専門学校と改称。同月、男女雇用機会均等法施行。
1988年(昭和63年)3月、青函トンネルが営業を開始。4月、建築技能情報科(工業高等課程)を設置。丹下健三氏設計による中央実務専門学校の新校舎が豊中市寺内に完成。北区王子本町に十七号館落成。
1989年(平成元年)創立80周年。1月、昭和天皇崩御、「平成」に改元。4月、大森厚理事長が藍綬褒章を受章。80周年記念棟として十八号館(現中央工学校歴史館)が落成。10月、目白椿山荘にて創立80周年記念式典挙行。11月、学校発展功労者の胸像完成。
1990年(平成2年)1月、千倉保養所(ロードス80)が完成。バブル経済の崩壊がはじまる。
1991年(平成3年)軽井沢研修所に三五荘資料館、センターフロント、宿泊施設を増設。4月、東京都庁が新宿副都心へ移転。12月、ソビエト連邦崩壊。
1992年(平成4年)4月、(財)中央工学校通信教育会を(財)中央工学校生涯学習センターに改称。9月、毛利衛氏が2人目の日本人宇宙飛行士としてスペースシャトル・エンデバーに搭乗。
1993年(平成5年)4月、姉妹校、アクト情報ビジネス専門学校開校。
1994年(平成6年)
創立85周年。生涯学習社会への対応施設として、創立85周年記念館STEP(二十一号館)を建設。6月、松本サリン事件発生。
創立85周年記念館STEP
1996年(平成8年)北区志茂にクワドラングル志茂(女子学生寮)を開寮。PHS・携帯電話の販売数が急増しはじめる。
1997年(平成9年)千倉保養所(ロードス80)の宿泊施設を増築。12月、東京湾アクアライン開通。
1998年(平成10年)財団法人日本文化生涯学習振興会21を開設。日本の伝統文化、風土に関する多様な学習機会を創出、生涯学習の振興を図る。2月、長野オリンピック開幕。
1999年(平成11年)
創立90周年。軽井沢研修所(南ヶ丘倶楽部)に新研修棟を落成、能舞台を建設し、千利休の幻の茶室を復元。研修施設をさらに充実させる。創立90周年記念式典を挙行。
創立90周年、千利休の茶室復元
2001年(平成13年)9月、9.11テロ発生。ニューヨーク世界貿易センタービルにハイジャックされた航空機2機が衝突。
2003年(平成15年)3月、イラク戦争開戦。4月、姉妹校、中央動物専門学校開校。昼間に3年制の工業高等課程建築技能情報科を設置。同月、六本木ヒルズがオープン。
2004年(平成16年)十八号館に中央工学校歴史館を開設し、中央工学校の教育活動の記録を収集・展示する。8月、ギリシャ・アテネで第1回開催以来108年ぶりにオリンピックが開催。
2006年(平成18年)4月、業界各社との連携により、エンターテインメント設営科を設置。新しい人材の育成を目指す。中央実務専門学校が中央工学校OSAKAと改称。
2007年(平成19年)4月、アクト情報ビジネス専門学校がアクト情報スポーツ保育専門学校と改称。中央工学校の研修施設(長野県軽井沢町)の「三五荘」が国登録有形文化財として登録される。
2009年(平成21年)
創立100周年記念館RISE落成。2月、千代田区一ツ橋に「中央工学校 開校の地」碑を設立。10月21日、創立100周年。
創立100周年記念館RISE
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